院長のひとりごと、こちらで綴ってみることにしました。
ご意見・ご感想などありましたら、お寄せください。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
しゃーっ
きーっ
って あれ?
おや?
くにゃ〜
こんにちは。わたしのなまえは あまなつちゃん。はっさくおにいちゃんのいもうとなの。
左がわたしよ
わたしとおにいちゃんがちいさいころは、ぴょん太おおおにいちゃんと おかあなんしかいなかったのに、いまじゃあ くろとらじましっぽながとかくろとらじましっぽみじかとかまっくろとかって、いっぱいいろいろいていやになっちゃう。
わたしは ぴょん太おおおにいちゃん すき。
はっさくおにいちゃん とってもすき。
おかあなん すんごくすんごくすき。
くろとらじまず とか まっくろは きらい。
おかあなんのこと すんごくすんごくすきだから、おかあなんがおふとんにはいったら、すかさず首にまきついてあげるの。
でも、そのたびに おかあなん、わたしをなげとばすのよ。おかあなん、わたしがあんまりかわいいから、てれてるのよねきっと。だからまた、すかさずまきついてあげるの。
あとね。はっさくおにいちゃんはとってもやさしくて、いつもわたしの毛づくろいとかして、わたしをぴかぴかにしてくれるんだけど、ときどき なにをまちがったか、いきなりわたしのかおにけりをいれてくるの。
おかあなんは「甘夏ね、べたつきすぎてうっとおしいの」とかいうんだけど、いってるいみがよくわかんないわ。きっとおにいちゃん、わたしがかわいい いもうとすぎて わけがわかんなくなるのよね。
あとそれからね。まっくろのやつがまだがきんちょでね。ママのおっぱいほしいっていってね。ときどきおっぱいたんさくをはじめてね。わたしとか、くろとらじましっぽみじかとか、はっさくおにいちゃんのむねにすいついてくるの。きしょくわるいとおもわない!?
くろとらじましっぽみじかはね、まっくろのぱぱだからだまっておっぱいすわせてて、まあそれはしかたないとしても なんとはっさくおにいちゃんまでだまってすわせてあげて、そのうえまっくろのけづくろいまでしてあげてんのね。どんだけおひとよしなのかしら おにいちゃん。
わたし? わたしのおっぱいなんかぜったいすわせないわよ。
なんであかのたにんにおっぱいなんかあげなきゃいけないの。そんなのセクハラよ、しゅうかんしにのっちゃうわ。
まっくろがよってきたら ぱしっとなぐってそれでおわりよ。まっくろはきっといちばんかわいいこのわたしがほんめいなんだろうけど、ぜったいゆびいっぽんふれさせないの。
ああ ほんと、かわいすぎるのっていろいろくろうがおおいのよね〜〜。
私が小学校の昭和47〜48年頃、白黒だったかカラーだったかのテレビで、アナウンサーが低く、重厚に「天災は、忘れた頃にやってくる」とひと言つぶやくコマーシャルがありました。
当時の私は信じやすいというか過敏症というか、グリコかなんかのキャラメルの一個食べると身長が2o伸びるよ!的なキャッチコピーをそのまま信じて、ああ食べちゃった! 背が伸びて家に入れなくなる!! なんて一日震えてたりする子だったので、そのコマーシャルの衝撃もものすごく、「そうかてんさい≠チて忘れると目の前にやってくるんだ、どうやら目の前にこられちゃ困るものらしい、だったら絶対にてんさい≠忘れないようにしにゃきゃ! てんさい∞てんさい≠トんさい=c」と、なかば強迫的に頭の中で唱えていたものでした。
でも、ひと月たちふた月たち、てんさい≠うっかり忘れても日々の生活は変わらないと気がついて、いつしか唱えるのをやめました。
三陸って昭和35年にも津波が来て死者が出ていたって、今回の報道の中で初めて知りました。いや、本当はその時から10年そこそこ後に流れたあのコマーシャルも、記憶の生々しい津波への警告を含んでいたんだろうし、私だって何度もそれを話として聞いていたんだろうに、なんか、いつの間にか津波なんてありえない、あってもたいしたことじゃないって思いが定着しちゃってたんですね。日本人一人ひとり、全員がそうなってたんだと思います。
太平洋戦争を始めてしまったのも、続けてしまったのも、日本軍のエリートたちが「起こってほしくないことは起こらないことだ」と思考停止して錯覚してしまったのが原因で、そういう一部の人々の過ちに、大多数の無辜(むこ)なる日本人が巻き込まれたのだという話は、すっかり戦争の反省として定型化してしまっているけど、他人に責任転嫁するのは、いい加減やめないとだめですよね。何か事が起こるとすぐ責任者をさがしてそこを責めて、わかりやすい「原因と結果」の話をつくるけど、本当にそんな単純なものなんだろうか…?
「つなみてんでんこ」とは、沿岸に伝わる言葉で津波が来たらとにかく一人ひとりがてんでんばらばらになってでもすぐ逃げなきゃいけないという、いざという時に役立つ教えなのだそうです。
でも本当は、日々の備えが自分の生活を守るあらゆる注意をつい、他にまかせたりして自分で考えるのをやめちゃうけどそうでなく、一人ひとりが自分の責任でいつまでも肝に銘じておかなきゃいけなかったんだという、昔の人の深い後悔を含んでいるような気がします。
すっかり野鳥観察にはまってしまった私(といっても、裏窓からにやにや眺めているだけですけど)。
今までのエサ台は物干しからつり下げたおせんべいの缶に市販の鳥エサを入れ、りんごを刺しとくだけでした。
でも!! 今年の冬は!! と、まんが「とりぱん」にすっかり影響され、エサ台バージョンアップ妄想、いや計画が頭の中に渦巻き、夜も眠れません!!
なので、具体的に絵にしてみました。
病院の裏の地面はすべてコンクリートなので、新しく棒を立てたりできないのです。でも、大きい出窓が2つあるので、その間に突っ張り棒をつけてそして…と考えついたのがこちら!
実際これを作り、さまざまな鳥たちがやってくる日々を想像すると、うれしくていても立ってもいられません…。きっと仕事そっちのけで一日窓にへばりついているかも…。
どうか、穏やかな秋、そして静かな冬が今年もやってきますように……。
今年の年賀状に主役で登場した、とまとくん。
「どーん」
おっと違った、こちらです。
「にゃーん」
病院の裏にいつの間にか住みついていたこの子、野良生活している時も、他の年寄り野良猫に、まるで介護するように寄り添ったりしていました。
病院猫になった今も、入院わんこのそばで添い寝したり、
「お役立ち」
流動食の強制給餌や皮下点滴の仕方を飼い主さんにレクチャーする時にも、おとなしくモデル猫をしてくれます。
「にゃはは」
どこでどんな育ち方をしてきたのか不思議なねこ…でもやっぱり、こん太くんとの相性は今ひとつなのです。
「なんだよ、コラ」
太極拳では、片寄った力の出し方をよしとしません。力まかせに腕力を出すことも、すっかり力を抜いて脱力することもだめ。その真ん中の状態、程よい状態でなければいけない、といいます。
でも、いったい真ん中って? 目にも見えない、測定もできないこの状態を理解し、自分のものにするのは大変難しいです。
実際、自分ひとりではどうしたらいいかわかりません。自分でこうだと思っても、それが本当に正解なのか確かめるすべがありませんから。
でも、もしそこに指導する人がいるなら、その人から受ける印象から始まって、雰囲気、形、動き、体の使い方。その人のすべてを正解の基準として見ることができます。そしてできるだけその基準に自分を近づけるように、頭の先から足の先まで、そっくりそのまま真似をするよう努力すること、それが必要になります。
「学ぶ」とは「まねる」だといいます。目を皿のようにしてお手本を見つめ、できるだけそれに似るように真似ていくことが学ぶの本質です。
「先生について習っている」それだけでは充分ではありません。先生がやれと言った動作をただ漫然と繰り返した場合、同じ動作を繰り返すのですから、そこに慣れが生じ、それなりにうまくできるようになるでしょう。こういううまくなり方、つまり成長の仕方を「自然成長」といいます。
でもそこに、「先生のようにやろう、先生のようになりたい」という意志と真剣さが加わると、同じうまくなるにしても自然の成長とはまったく質の違うものが生まれてきます。
何かを本当に修得する、何かの分野で「本物」になるためには、才能よりもこの「お手本をとことんまねる」意志が必要です。
自分が何かを長年続けているのに、思ったようにうまくならない、進歩がないと思うなら、もしかしたらそれは自然の成長にただまかせているからかもしれません。
わけがわかんない今の政治家も、実はそれぞれの個人の資質の問題というよりは「政治家ってこうあるべきだ。この人みたいな政治をやりたい」という強烈にあこがれ、真似したくなるお手本を持っていないからじゃないのかな。選挙に当選して議員になって議会に通い続けていれば、それなりに自然成長して政治家らしくなるでしょう。でも本当に一流の政治家になるためには、自分なりにこれぞ一流の政治家!と思えるお手本を見つけなければいけないと思います。
そして、今の政治家業界の不幸は「政治家とはどうあるべきか、どのような政治をすべきなのか」という、お手本を示し指導する人材も教育システムも皆無で、ただの有象無象たちを民主主義の名の下に選挙でかり集め、あとは個々人の自然成長だけにまかせているところにあるのでは…。
ま、これは相撲をはじめとしたスポーツ界ほか、あらゆる分野でいえることですが。
病院の裏の物干しに、おととしから鳥のエサ台をつけました。大きな窓に面しているので、その窓際で仕事をしていると、次々小鳥がやってきます。眺めていると、ほんとに楽しいです。
すずめ、ひよどり、オナガ、きじばと、ハクセキレイ…。
最初の年は、みんな警戒してるというか、おそるおそるというかせわしなくて、エサ台にのったり下りたりしてましたが、もう今はこっちの顔も覚えたと見え、50センチくらいの至近距離で、私がじーっと見つめていても、そしらぬ顔でエサをぱくついています。
鮮やかな青い羽色のオナガも、オナガとりんごを取り合って、いつも負けちゃうひよどりも、お尻ぷりぷりのハクセキレイもみんなかわいいけど、やっぱりイチオシはすずめ!
ちっちゃい子、おっきい子、模様がはっきりしているのやら、すすけているのやら、一羽一羽、みんな違っていてほんとにかわいい。
特に今の時期は口の両脇にまだ黄色が残っている、巣立ったばかりの幼鳥が、ひとりがんばってエサを食べにきています。たしか4月、5月の頃は、2羽連れ立って来るすずめが目立ちました。
つがいかな?と思いましたがそうではなく、小さいお母さんすずめが、ついばんだエサを、その横ででんと待機している、黄色いくちばしのおっきい子すずめの口の中に突っ込んであげているのでした。
巣の中でピーチクしているヒナならまだしも、立派に成長してここまで飛んでこられるのに、エサはお母さんに口移ししてもらうなんて、なんたる無気力!! とひとり突っ込んだりして…。
そんなすねかじりの若者たちも、今ではすっかり自立して、というか自立させられて、毎日、一生懸命エサを食べにやってきます。
そういえば、お母さんと来ていた頃は、羽毛もやわらかくパヤパヤで、薄い黄金色に輝いていたのに、今は口元の黄色以外は体全体、茶色く黒くすすけちゃってます…生きる苦労を味わっているのね。その点、もう少し年上っぽいすずめたちのほうが、身だしなみ万全なのか、毛色がきれい。
この春デビューの新人たち、まだ水浴びのやり方もベストスポットもよくわからないでいるのかしら…。
なんてことをつらつらつらつら考えながら眺めていると、時間が経つのも忘れるほどです。
俳人の正岡子規が病気で寝たきりの晩年には、ずっと庭の花々や小鳥たちを眺めていたといいます。
体の痛みを別にすれば、子規自身はその行為が楽しくて楽しくてしかたなかったのではないか。そんなふうにも思うのです。
これは今年(2011年)の年賀状用に描きました。
ご覧の猫が去年の新入り。
つくづく私、果物野菜の名前が好き。あっ、果物自体は八朔以外だいっ嫌いなんですけどね。
3月はじめのある日の朝、枕元にメガネがありません。
昼はコンタクト、夜はメガネの私は、寝る前は必ずかけていたメガネを枕元に置くはず。それがどこにもないのです。
でもまあ、どこかに? 布団にまぎれて? あるんだろう。朝の忙しさにかまけて、捜すことなく仕事に向かいました。
そして夜。その日はとても忙しく、目も疲れていたので仕事が終わるとすぐコンタクトをはずし、保存液に入れ…そこでハッと気づきました。あ、メガネないんだった。
私はど近眼。コンタクトをはずすとすべてがボヤけてしまいます。でも、布団をひっくりかえせばきっとメガネは出てくるはず…。でも、でも。ない。ない! 枕の下、毛布の中、布団の下、その周り。どこをひっかき回しても、まったくメガネは出てきません。それこそ、見えない目で這いつくばるように部屋中必死で捜しても見つからない。そんなこと、今まで一度だってありません。寝る前には確かにメガネをかけていた。そして朝起きるまで一度も部屋を出ていない。ま、まさか泥棒? でも、メガネだけをとる泥棒?? 部屋で一緒に寝ていた猫6匹は、いつものようにくつろいでいるのに…。周りのものすべてがうすぼにゃりと、頼りなくしか見えない暗がりの中で、私は妙な恐怖を感じました。でも、とにかく見えなければ何もできない。
疲れて痛む目に気は進まなかったけど、もう一度コンタクトをはめることにしました。ところが! 目に入れたとたん、刺すような激痛が! そのコンタクトの保存液は実は消毒液で、中和剤の粒を入れて数時間たたないと再び目に入れることはできないものでした。ところが、その中和剤を前日に使いきってしまっていたことをすっかり忘れていたのです…慌ててコンタクトをはずし、流水で目を洗い、ひりひり痛むまぶたを冷やしながら、物入れをひっかき回し、昔使っていたメガネをようやく捜し出しました。度の合わないそのメガネをかけておそるおそる車を運転し、コンタクトの中和剤を買って、ほうほうのていでその日は眠りました。
そして…それから3日後。メガネは見つかりました。寝ている部屋から長い廊下を隔てて反対側のもう一つの部屋の隅の段ボールの中から…。
な、な、なんで? なんで? 考えられるのはやはり猫? 猫が移動をさせたのか?
でも、今まで一度だって猫がメガネをいたずらしたことなんてありません。ましてある程度重さのあるあんなものを犬ならともかく、猫がくわえて? そんな長距離を移動するのか…? 手でじゃれながら廊下をすべらせていったとしても、廊下と部屋の間には敷居があるし、段ボールに入れるにはやはりくわえないと無理だし…。
なんか、変な感じ。なんか、へんな、説明できない。はっきりしない。起こるはずのないこと。当たり前じゃないこと。普通じゃないこと。そんな奇妙な不安。得体の知れない恐怖に、その後数日間とらわれた感じでした。
ーそれから一週間近くたって、東日本大震災が置きましたー
メガネがなくなったのはやっぱりただの、猫のいたずらなのかもしれません。消毒液入りのコンタクトを目に入れちゃったのも、単なる私のポカです。でもあの時感じた不安、恐怖、違和感。そして絶望はそっくりそのまま、3.11の夜、ローソクの炎を見つめながら感じたそれでした。
もしかしたら、少しずつずれていた地殻のゆがみ、地磁波のゆらぎなんてものが、人間の微細な身体感覚にも影響を与えていたのではないか。そんなちょっとした感覚を「あれ?」「ん?」という違和感として感じていた人は、たぶんほかにも多かったのではないかと思います。これほど大きな天変地異の前兆が、まったくないわけがない。でもそれは確たる数字や決まった事象であらわされるものではなく、ふとした不調和「なんか、へんな感じ。」としか表現できない。だから事例としてまとめて証明立てることはできないでしょうけれども。
内田樹さんが書いているように「かくれんぼ」や「缶けり」遊びは、まさにそういう隠れて息をひそめていたり、敵意を持って近づいてくる「へんな」「いやな」ものの「気配を察する」という身体の感受性の訓練だったのでしょうね。太極拳でもそういう訓練が第一の目的になります。そう考えると、心配性や不安性の人をすべて異常にとらえて治療したり、「悪いことは考えず、ポジティブに生きよう」なんて今のはやりは人間が本来持ち合わせ、守り育てていかなければいけないはずの微細な身体感覚の放棄を奨励しているようでもあり…。
とりあえず、私はあれ以来、自分の中の感覚に一目置くようにしています。6月の今日現在、「あれ?」と思うようなこと、私のセンサーが発動するようなことは起きていません。
だからたぶん、大丈夫。今のところは。
ずいぶん長い間、更新しないうちにわが家のにゃんこの顔ぶれも少し変わりました。
とりあえず2010年のメンバー紹介。
いちいち字書くの面倒なので絵にしました〜。
にゃんこは基本形が一緒だから描きやすいです。
これからは頑張って更新しますのでよろしくお願いします。
さてしずおの他に、うちの居候は現在猫6匹。(7匹目の猫だったぴのこちゃんは、先日静かに天に召されていきました。ぶちゃいくで、でもたまらなく可愛かったぴのこちゃん・・ぴのこのエピソードはまた別稿で。)うちに来た年も、生まれた場所も、みんなばらばら。でも彼等には、ある恐るべき共通点があるのですーっ。
まず1番の古株ぴょん太くん。彼は以前勤めていた病院で、「拾ったんだけど、うちではもう飼えないんですよぅ。」と、お客さんが持ってきた子猫でした。その日付が今から10年前の5月27日。目が開いたばかりのその様子から5月20日頃の生まれと思われました。
そしてそれから4年が過ぎ、この病院を開業した年の6月、実家の近所の物置に、四匹の子猫がいるのを母が発見しました。そこの家主は大の猫嫌い。このままでは処分されてしまう!と、母はひとんちの庭に忍び込み、四匹を救出して、「まんずひとまず、保護してて。」と、病院に連れて来たのでした。結局、二匹は里親さんに貰われ、残る二匹が居候になりました。それがこん太君とみかんちゃん。近所のおばさんの話では、5月の下旬、その物置に猫が生まれているのを見かけたとの事。その日付が、なんと5月の20日頃・・・。
さあそして、開業して3年たった春のある日、そう皆さんご期待の通り、紛れも無い5月20日!!!避妊のため病院に預かっていた野良猫が、なんと手術の直前に、四匹子猫を生んだのです!!そしてまたまたそのうち二匹が、またまた居候に仲間入り。それがはっさく君と甘夏ちゃん・・。
そう、なんの縁もゆかりもないけれど、偶然うちの病院に集まった一匹と二兄妹、計5匹が、ほぼ同じ誕生日なのです・・!
でも、不思議なのはそれだけではありません。5月は、私にとってもうひとつ、忘れられない日があります。−5月28日。それは、11年前亡くなった、私の父の命日なのです。
父のお墓参りに向かうため車を運転していた2年前のお盆の入り。道の片側から反対側へふらふらとよろめきながら走る姿を目にし、思わず停車して拾ってしまった子猫。それが、この間亡くなったぴのこでした。・・そして、開業した次の年、居候になったもう一匹の猫、小夏といえば、ある酷い怪我をしながらも、道行く人に愛想を振り撒いていたという野良猫で、見兼ねた通行人が交番に連れていき、しかしお巡りさんも怪我をしてるし扱いに困り、「先生のとこで預かって貰えないすか?」と、うちに連れて来た子なのでした。・・お巡りさん・・そう、父も警察官でした・・。
これはこじつけすぎですか?でも、私にはどうしても、猫達の後ろで糸を引く、父の姿が見えるのですーっ。
いきさつはきっとこうなんです。
自分が死んだ次の年、命日も近いし、どれちょっくら家の様子でもみにいくべえかと、この世に戻ったうちの父。その途中、ひとり途方にくれて鳴いている子猫を見掛けたんでございましょう。私にこの血を分けた父のこと、困っている猫を見て、そのまま過ぎ去るわけも無く。向こうの世界に一年もいれば、猫と会話するなど造作もない。
父:「なにした?お前、なに鳴いてらのだ?」
猫:「あっ おじいちゃん聞いてよにゃ!ぼくのおかあにゃんがいなくなったのにゃ!ぼくひとりで、これからどうしたらいいかわからないのにゃーっっ」
父:「ああ よしよし。ほんだばほれ、うちの娘が動物のお医者をやってっから、頼っていけば安心なんだ。ほれ、あの男、あれは娘のいる病院にいつもいってる馬鹿みてえに猫好きの客だから、あいつにうまーくみつかるようにすれば、病院さ連れてってくれるんだじゃ。」
猫:「ほんとにゃおじいちゃん?!わかった!ぼく、やってみるにゃーっっ」
・・・若きぴょん太と父の間で、こんな会話が交わされたことでございましょう。そしてそれが思惑通り、まんまとうまくいったものだから、それ以来、命日やお盆だので、こっちに戻ってくる道すがら、困っている猫を見かける度に、「なに、大丈夫。あのたんぽぽの先生のとこさいってみろ。」と声をかけ、「ほれ、あのばあさんの目につくとこで子供産め。」だの、「あの車の前でちょっとふらついてみせてやれ。」だの、やり方を指南して、我が病院を宣伝しまくってくれているのでしょう・・。
って、いやちょっとまってお父ちゃん。宣伝営業っつーものは、こちらが利益を得る為に、お客様にご説明申し上げる作業のことであって、こうやってただ居候が増えてくんじゃ、こっちの利益はゼロなんだよぅ〜っ・・と。
・・いつの日か、再び父とまみえることが出来たなら、いの一番にそういって、突っ込みをいれてやりたい、私なのでした。
ああ、もうすぐ五月ですね・・。今年はどんな猫なのかなあ・・・って、おおっと、いかんいかんいかん。
古株ぷりてぃぴょん太くん |
おまぬけこん太と才媛みかん |
はっさく甘夏 柑橘兄妹 | そして柑橘達を生んだ野良かあさん (野良母さんも里親さんに貰われて、 今は幸せに暮らしてます) |
らぶりー小夏ちゃん |
そして 在りし日のぴのこちゃん |
私は今の所、「健康」状態にあります。特に病院に通ったり、飲んでいる薬もありません。でもね、日々生活してると、一言で健康といっても、そのレベルは低いところから高いところまで、実にひろい範囲を指しているんだなあということに気付きます。
例えば、私はよく頭痛になります。軽い時は、10分でも横になればすぐ解消されます。でもそれが、ほら、女性ですから毎月のリズムというのが有るでしょ。そのリズムの中、体調が落ち込む時ってあるじゃないですか。毎日の仕事や生活で、日々溜まった疲れや、変に冷えたりするのがそこに重なったりすると、あれよあれよという間に耳の痛みになり、首の痛みになり、背中の凝りになり。そしてついにはお腹の痛みを感じるところまでいったらさあ大変。下痢するわ、吐くわ(汚くてすいません)を一通り経ないと、なかなか体調はもとには戻りません。月に一度、そういう激烈な症状になることが年に二、三度あります。そういう時は、鍼灸治療に行ったり、ホメオパシーのレメディを飲んだりしながらも、ひたすら嵐が過ぎるのを待ちます。嵐の最中は、水を飲んだり、お粥を食べたりする事すら出来ませんから、脱水状態になってもうぼろぼろ(+_+)。
でもこれは、日々の不摂生や疲れから生じた身体のアンバランスを、もとに戻すため余計なものを排泄しようと、身体が頑張って起こす反応の様です。だから、これだって立派に「健康」な状態。そういう「健康」の最低ラインから、少しずつ痛みや不快感が解消され、水や食べ物を口にできて、少しずつ元の体調に戻る時、ほんと文字通り、地の底から天にむかって浮かび上がるような感覚を味わいます。そんな、「健康」の上のレベルにいる時、つまり心身のバランスが取れてる時は、多少冷えようが、夜更かししようが、全然平気。頭の中に、小さな痛み虫が疼きはじめても、跳ね返せる自信があります。
つくづく、人間ってやじろべえだなあと思います。二本足でしっかり立っていれば、一見どっしりとバランス良く、安定しているようだけど、どうしてどうして、日々の様々な刺激によって、あっちにふらふら、こっちにふらふら揺れ動き、中々バランスを保つのは大変です。
そういう心身のバランスを常に真ん中に保つ、身体、生活の中の軸をぶらさない様にするひとつの方法として、太極拳があります。
と、いうわけで、長い振りでしたがm(__)m、次回は、私が取り組み始めて今年で六年目になる、この太極拳についての一席を。でも、しょっちゅうバランス崩して、大嵐起こしまくってるようじゃ、私の修業もまだまだなんですがね。f^_^;
病院には現在8匹の居候がいます。わんこ一匹にゃんこ七匹。彼らとの出会いにはそれぞれのエピソードがあります。
ある夜、運転中の私の車の前を走る白い影。驚いてブレーキをかけましたが、その物体は速度を緩める事なく、そのままその先の、車の往来の激しい国道へ走り込んでいきました。「なになに?犬?猫?狸?」解らない。でもこのままではあの物体、車にひかれるっ!と
咄嗟に私は脇に停車し、降りてそいつを追い掛けました。両側四車線、猛スピードの車が行き交う闇の中、その物体は右往左往しています。「そこの君!止まりなさい!!」とは言いませんでしたが、車を避けつつ必死に追い掛けてくる私に気付いて驚いたのか、そいつはやがて脇の細い道へ走り込みました。そこでようやく捕まえて、見ると、まだ一歳くらいの雄のシーズー犬でありました。綺麗にトリミングした跡もあり、青い可愛い首輪も付けています。でも周りを見ても、飼い主らしい人はいません。「まあいいか。どっかから迷って来たんだね。ひとまず病院においといて、預かってますってあちこちに知らせれば、すぐおかあさんが連絡くれるよ。ねえ?」その子に言いましたが、物問いたげな目で心配そうにこちらを見つめるだけで、何も答えてはくれません。
帰ってすぐ、警察と保健所に連絡し、新聞に広告を依頼しました。自分でもポスターを作って、見つけた辺りに貼りまくり、近所の人にも聞き込みしました。
・・・一週間たち、二週間たち、・・・あれだけ手を尽くしたにも係わらず、ついに何処からも連絡はありませんでした。
・・・例えば、老夫婦が飼っていて、お家から迷い出ちゃったけど、おじいちゃん達、警察に聞くとか保健所に行くとか、わんこを探す方法、思い付かなかったのかしら?それとも、シーズーにしてはちょっと鼻が高くてブサイクだから、ペットショップで売れ残っちゃって、それで捨てられたのかしら?・・・色々想像してみるのですが、真相は薮の中。あれから5年たち、今では病院の居候部屋で、大好きなにゃんこ達に囲まれて、それなりに楽しい生活・・・なんじゃないでしょうか・・・?
ところで、拾ってしばらくして、とりあえず名無しでは不便だ、ということで、仮の呼び名を付けることにしました。まあ何でもいいやと思い、シーズーの雄、ということで、「しずお」にしました。
シーズーのしずおさん。
・・・人にこのエピソードを話すと、ここで必ず失笑を頂くのですが・・・でもだって、仮の名前のつもりだったし、まさか、この名前のまま飼い続ける事になるとは思わなかったもんで・・・どうなの、しずお。お前本当はジョンとかマックスとかブライアンとか、こじゃれた名前で呼ばれながら、お金持ちのおじい様おばあ様と、人里離れたお山の上のお屋敷で、優雅に暮らしてたんでないのか?それが今じゃあしずおだもんね。運命ってわかんないもんだよね。−聞いてみても、やっぱり何も答えてくれない、しずおなのでした。